女磨きの心得

意識を変えれば、美しさがキラキラと湧き出てきます。

依存的恋愛とは?

   


恋愛においてなぜか長続きしない。なぜか鬱陶しいと思われてしまう。
こんなに近くにいるのになぜか満たされない。心の中に何か穴が開いているように感じる。
離れるとひどく寂しい。会えないと不安になる。なぜかまだ足りない。何が足りないのでしょうか。

依存的恋愛とは?

依存的恋愛に陥ってしまう人は以下のような特徴があります。
・自分に自信がない。
・人に欠点を指摘されるとひどく落ち込む。
・好きな人が見つかると相手が引いてしまうくらい猛烈に連絡を求める。
(きれいな言い方にするとつながりを求める)
・恋愛を美化している
・同じことを何度も話す。

陥りがちな勘違い

なぜか恋愛がうまくいかない人は恋愛そのものを美化しすぎている部分があります。
陥りがちな勘違いは、「誰かが自分の足りない部分を愛情として補って補完してくれる」というものです。
恋愛において「誰かが自分を救ってくれる。心の穴を埋めてくれる」ということはありません。
「愛されれば心の隙間は埋まるし、幸せになれる」と思い込んでも実際はそうはなりません。

本当に人間が満たされるのは「自分自身を自分自身が愛すること」によってです。

恋愛がうまくいかないという人は自分の中で十分に愛が足りていない可能性があります。愛がなければ、与えることができませんから恋愛はむずかしいでしょう。

「自分が愛されたいのは、ほかの誰でもなく自分自身なのでは?」

「自分が愛されたいのは、ほかの誰でもなく自分自身なのでは?」
「あなたが本当に求めているのは自分自身から愛されること」なのではないかと考えてみることが大切です。

自分の欠けている部分を誰かに補ってもらおうとすると、必要以上に依存していきます。
恋愛をする上で大切なことは、自分を愛せなければ、人を愛することはできないということです。

依存的恋愛とは依存しあう関係同士(共依存)であれば成り立ちますが、
基本的には成り立ちません。一方が重荷を感じてしまい終わりを迎えます。
また共依存ほどもろい関係はありません。これは互いに相手から何をもらえるかしか考えていない状態ですから本当に愛し合っているとは言えません。

愛情の本質とは与えることにあり、愛情を求めても与えられることはないのです。
愛とは求めるものではなく与えるものです。
本当の愛情の喜びとは与えることそのものに感じる喜びであり、誰かに愛されたいと愛情を求めているうちは本当に心が落ち着くことはないでしょう。
愛情を欲しがるから心は激しく動き回り心の休まることはありません。
そうではなく、愛情を与えること自体で完結してしまえば心は休まります。

相手なしでは生きることすらできない

男女の関係において相手に愛情をもとめることを目的として、さらにいえば自身の不完全さを補完するために恋愛をすれば、やがて相手なしでは生きることすらできない依存心ばかりの人間になってしまいます。
それが互いに依存心を持ち共依存の関係になれば互いの利益になりますから関係は持続しますが、多くの場合は共依存にはなりません。
また依存心が強ければ強いほど相手から離れることに恐怖を感じますから離れることができなくなりますし、少しでも連絡が取れないと不安になるということになります。

相手を束縛して、常に連絡を求める状態は相手から愛情をもとめようとしているケースがほとんどですし、相手から何か自分の足りないものを補完してもらおうとしている可能性が高いでしょう。

自己否定から始まる努力は塩水を飲み続けるようなもの。

他の誰でもなく自分自身と和解することをできないまま生きることは危険なことです。
自分に自信がないのは、いつまでも自分を許さないからです。
自己否定が強くなればなるほど反作用が働きます。自己否定を改善したいという思いが強くなるため、自分に自信を持てない人間は次に自分に無意識化の努力を強制します。

自分に対して過度のノルマを課し、自身を否定し続けることにあります。過度のノルマを課さないと落ち着かないのは自分の無価値性を強く感じているからでしょう。
何にもできない自分はなんとか頑張るということでしか自身を確立できないわけです。
努力することでしか自分の価値を証明できないのです。
自身の足りない部分を補うために努力をしていくことは大切なことです。
しかし自己否定から始まる努力は塩水を飲み続けるようなものです。
自分を否定して努力してもいつまでたっても完全なる自分というものにはなれません。
いくら努力をしてもただ、無意味感だけが続きます。
成果を出しても、自己否定から努力し始めたひとは、自分を否定し続けます。
常に努力を強制されるのです。
無意識のうちに努力を強制されるのです。
無意識化の努力の強制は次第にやる気を奪っていきます。
人間は強制されて動くものではありませんから、多少自分を騙して努力できたとしても、自ら求めていない努力はだんだん気力を奪っていきます。

親に怒られたくないからテストでいい点数をとるために勉強する

努力というものは強制されるものではありません。
努力は自ら求めて行われることに意味があるのです。
親に怒られたくないからテストでいい点数をとるために勉強するのと、自らもとめて勉強をするのは雲泥の差があります。短期間では、どちらも似たような成果を出しますが、強制された努力というのは必ず反作用が働きます。
親に過度に努力を強制された子供がやがて不良になってしまうというのもよくありますが、
強制された努力は長期的にはマイナスになりますし、何よりも長続きしません。

自身は駄目な人間なので努力しなければならないという動機から努力を始めた場合、長期的には続きません。
ダメ人間という思い込みばかりが強まり、努力をいくらしてもダメ人間から脱出できないという絶望感が残るでしょう。

「~ねばならない」のはなぜか?

世の中には自ら努力を強制している人がいます。
こういうひとは「~ねばならない。」という言い方をよくします。
真面目な人は病みやすいと言いますが、真面目というのも少し違うでしょう。
努力を自ら強制しているひとは多くの場合、反作用が働き努力を継続できなくなります。
そして自分を責めます。努力している間は、自身への無価値感から解放されますがひとたび努力をやめた途端に無価値感に襲われるのです。
努力を強制しても長続きしませんので、無価値感にさらに襲われ、自分は努力すらできないのだと自分を責めます。
自分を責めてだんだんと自暴自棄になっていきます。こういう人間は常に追われているのです。自分自身が課した努力の強制に追われ続けます。
そしてそれらは心身にプレッシャーを与え続けやがて停止してしまいます。
停止したところでそれは破滅を意味します。これ以上努力はできないとそう思った時もはや道がなくなるのです。

努力というものは自ら求めてということが大前提です。
そして努力は自己否定を根拠にはじめてはならないものです。
まずは自信を許すことが大切です。自分を許して肯定してあげることが必要です。
しかし、これが非常に難しいことです。
自分を憎み、いつまでも許していないのは自分自身なのですがなかなか許すことができません。なぜ自分を許せないのでしょうか。

自分を否定している人は自分自身を過大評価している。

逆説的に聞こえるかもしれません。
しかし自分に自信がないという人間の方が自分を過大評価しているのです。
「できないのにできると思っている」ここに一つの原因があります。
自分に自信がない人はあれもこれもできるはずなのにできない。こんなこともできない。といって自分を責めていきます。
自分を過大評価して、できるはずなのにできない。できていいはずなのにできないと苦しんでいることが多くあります。
逆に自分を肯定している人の方が自分自身を正しく評価しています。
あれと、これとはできない。できないがそれが自分だと自覚しているのです。
自分に何ができて、何ができないのかこの部分が現実と自分自身の自覚が乖離していないものです。
こういう人間はそのことについて大きな不満は持ちません。あれとこれは苦手だということを受け入れているのです。

自分に自信がないという人間ほど、人間というものを過大評価していますし、自分を大きくとらえすぎています。できないのにできると答えてしまうタイプです。
できないものはできないということをまずは正しく自覚することが必要です。

人類そのものが、不完全

人間の能力というのはそれほど差がありません。あなたとおなじような能力と容姿と慎重と魅力と性格の人間は日本だけでも何十万人といます。けれどその中の全員が自分に自信がないかというとそうではありません。人間の能力は対して差はないのです。
そのことは何もあなただけが抱えているものではありません。あなたは自分はダメなやつだと否定するかもしれませんが、そんなこと言ったら残り何十万人の日本人も救いがありません。人間そのものが欠落ばかりです。

人類の歴史といっても人類がここまで生きてこれたのは一部の偉人の力であって、大衆というものはちょっとしたことで怒って、エゴに満ちて、戦争ばかりを起こすようなものでしょう。
人類そのものが、不完全だと思いませんか。そうであればその人類の構成要素の一つである人間もやはり不完全ですし、あなたもやはり不完全です。けれどあなただけが不完全化というとあなたの周りの人間も不完全ですし、どんぐりの背比べなのです。どちらも同じくらいです。
ですので不完全であることが普通なのです。あれもこれもできず、理想からはほど遠いのが人間なのです。不完全が嫌だというのはこれは、我儘なのです。不完全さが人間の象徴ですが、それは受け入れるしかありません。

赦すことは人類の修行のひとつ。

この世をストレスなく生きるために必要なことは許すことです。
許すことで人間は不要なストレスから解放されます。
まずは自分を許すことです。自分を許すことは簡単に見えて実は難しいことなのです。寛容とは難しいことです。
自分を許せないのはなぜかといえばまだ現実を受け入れることができていないからなのです。

人間は自分の中に気に入らない部分をもっているものです。
例えば、こういう性格が気に入らない。とか、こういう顔が嫌だとか、気に入らない部分が必ずあります。特に性格について、自分のなかで完全だと思っているひとはいないでしょう。

自分の性格の嫌な部分はどういうところにありますか?と聞くとだいたい似たような回答が返ってきます。だいたい人間は同じような性格なのです。クラスでいじめられる子がいても90%以上の人は見て見ぬふりをするのです。人間とはエゴに満ちているのです。
しかしそれをまず認めなければ進めません。自分を許せない人は現実と向き合えていないのです。「ここが悪い」ということを見たくないと否定するばかりで受け入れることができていないのです。不完全の解消を諦めるのでもありません。しかし人間は不完全を認めることで初めて解消につながるのです。

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